知識の丸暗記で東大に行けるなんて思ってる人はまぁいないと思う。

「考えない人」は、「解答を見て、覚える」ということをします。
おそらくは、「その方が合格しやすい」という判断があると思いますが、合格を優先しようとして、自らの頭の発達を阻害してしまうというのは、本末転倒なのではないでしょうか。
「考え出す」ということをしなければ、考え出す力が発達しません。むしろ、退化してしまいます。
そのような生き方(学習法)をしていれば、「ただ、指示待ちをする人間」になってゆくことは、わかっているわけです。
知識の丸暗記で良いのか?
世間では、「教育」と称して、「思考停止人間」を大量生産するような方法が、堂々とまかり通っています。
政治が民度を反映するように、教育機関のレベルも、「教育を受けたい人」たちのレベルを反映しているのです。
「教育を受けている」つもりで、「可能性を閉じて」ゆき、「これ以外には、生きる術がない」くらいまで、可能性を絞り込むようなことが行われています。
「生き生きしている」こととは、程遠い状態です。
そのときそのときの状況において、「自らが進みたい世界」「みんなを連れて行きたい世界」があり、現状からそこに向かう可能性が「見える」ような人を育てるのが、教育なのではないでしょうか。
子供のときから、「答えを教え込む」ようなことをして、なんとも思わない人が増えているのが現状です。
「子供の将来の選択が広がるから」と言いながら、固定的な「知識」を丸暗記させているのです。
本当に、それは、未来の可能性を広げているのでしょうか?
自ら考えだし生み出す
「考える人」の場合は、「覚える」としても、「解答を見て、考えて、自分流にして、覚える」ということになります。
この過程には、「考え出す」ということが含まれます。
受験勉強も、人生の一場面であり、その場面において、そこを進むために、自ら考え出し、生み出すということをやっているわけです。